力丸が虹の橋を渡ってから、約1年4ヶ月が経つのですが、未だに胸が詰まりそうになる瞬間があります。
力丸は、重症の筋無力症で、喉の筋肉が一番先にダメになり、自力で飲食ができなくなってしまったため、胃瘻チューブにより、主な水分や食事を取っていました。
途中、少し回復して飲み込めるようになった時期もあったのですが、誤嚥で肺炎を起こすといけないので、獣医さんからは許可が下りず、飼い主側の判断で、ほんの少しだけ、おやつを食べさせたりはしましたが、味のついているものが肺に入ると非常に危険なので、食事まではさせられませんでした。
でも、それが唯一、力丸が、我々と一緒に自宅で生き続けていける手段だったので、1日3回、ミキサーで粉にし、ふるいにかけたドッグフードと、病院から、粉にした状態で出して戴いていた薬を微温湯で溶かして、注射器を使って胃に直接注入するということを、約1年半の間、行っていたわけです。
謂わば、命のチューブだったのですが、荼毘にふす際、身につけているものは外さなければならず、自宅で亡くなったため、私がチューブを切り、今も、力丸の写真の横に置いてあるのです。
残されたチューブに目がとまると、力丸の元気だった頃の写真や、無くなる直前に撮った写真を見るよりも、数倍辛いものがあります。
亡くなってすぐの頃は、あまり色々なことを考える余裕がなくて、然程気にならなかったのですが、半年経った頃から、何だか切ない気持ちに駆られるようになりました。
そのチューブを見ると、胃瘻をつくるためには全身麻酔が必要ということで、その処置をすることで、直ぐに別れることになるかもしれず、迷いに迷った約2ヵ月半のことや、”これ以上は餓死させてしまう。もう限界だ”という飼い主側の気持ちと、それを見透かされたかのように、検診日に合わせて、「今日、飼い主さんのOKが戴けたら、すぐに胃瘻をつくる処置ができるよう、手術室を押さえてあります。」という獣医さん声、生まれてから一度も外泊をしたことのない力丸を、数日間入院させることに対する不安や、その帰りに涙が止まらなくなってしまったことや、面会に行くと、膝の上から離れなかった力丸のことや、、、本当に色々なことが固まりになって襲ってくるのですよね。
そして何よりも、命のチューブが不要になってしまったという現実を目にすることで、本当に死んでしまったのだということを思い知らされるのです。
でも、何かの拍子に写真が目に入ると、「こんな素敵なコが、我が家には居てくれたんだなぁ」と、毎回のように思います。
そして、有難いなと思うのです。
ペットロスという言葉がありますが、簡単ではありませんね。
時は解決なんかしてくれないと思います。
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